皆さん、こんにちは!
2021年の8月ももう後半ですね。
ディズニーは、去年、今年とコロナ禍の影響で自粛、自粛の連続でした。来年こそは、いつものパークに戻っていることを願ってやみません。
さて、ちょっと前の話になりますが、6月29日(火)は、東京ディズニーランド、東京ディズニーシーを運営している株式会社オリエンタルランドの株主総会の日でした。
今年はコロナ禍で株主総会の規模も縮小、株主の参加も抽選制で、100人ほどしか当選しなかったそうです。その株主総会の後半には、株主と経営側の「質疑応答」が行われるのが恒例となっています。
今年の株主総会の質疑応答の中で、ちょっと気になる質問がありました。その質問とは、「アメリカのウォルト・ディズニーカンパニーとのライセンス契約は、開園から45年のはず。今はどうなっているのか?」という内容のものでした。
ライセンス契約? 開園から45年? これはどういう意味なのでしょうか? そこで今回は、この質問について深堀りした記事を作成してみました。いろいろと調べるうちに、東京ディズニーリゾートの立ち位置や今後のパークのあり方が見えてきましたよ。
東京ディズニーランドが出来た経緯
最初に、世界中にディズニーと名がつくテーマパーク施設はいくつあるかご存じですか?
答えは「ディズニーランド」があるのは6か所。アトラクション施設を持たないリゾートを含めると7か所です。
パーク名 | 所在地 | 内容 |
カリフォルニア・ディズニーランド・リゾート | カリフォルニア州/アメリカ | ディズニーランド、ホテルを中心とした元祖ディズニーリゾート |
ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート(WDW) | フロリダ州/アメリカ | マジックキングダム(ディズニーランド)の他、エプコット、ハリウッドスタジオ、アニマルキングダム(サファリパーク)などがある滞在型の総合リゾート施設 |
東京ディズニーリゾート | 千葉県/日本 | ディズニーランド、ディズニーシー、ディズニーホテルがある日帰りから短期滞在型のリゾート |
香港ディズニーランド・リゾート | 香港/中国 | ディズニーランドがメイン。キャラグリが充実 |
上海ディズニーリゾート | 上海/中国 |
ディズニーランド。広大な敷地に最新のアトラクションが売り。 |
ディズニーランド・パリ | パリ/フランス | デイズニーランド。東京の次に開園した4番目のパーク。ディズニー映画をテーマにした第2パークがある |
アウラニ・ディズニーリゾート&スパ | ハワイ州/アメリカ | ディズニーキャラに会える滞在型のリゾート |
これら7つのディズニー施設の中で、唯一、ウォルト・ディズニーカンパニー直営でないのが、東京ディズニーリゾートなのです。
オリエンタルランドはもともと土地開発を主に行う不動産会社でした。1970年代当時の社長が社用でアメリカに出向いた際、ディズニーランドを訪れていたく感動。ぜひ、日本にもディズニーランドを建設したいとウォルトディズニーカンパニーに願い出て誘致に成功したのです。
当時の日本は、1970年の大阪万博成功から続く高度成長期でしたが、テーマパークという言葉はまだなく、各地に点在する遊園地は、遊戯施設を適当に寄せ集めただけの、ただの乗り物ランドでした。
1983年「東京ディズニーランド」グランドオープン
千葉県浦安市の広大な埋め立て地に、3年余りの建設期間をかけ、1983年4月15日、東京ディズニーランドがグランドオープンしました。
当時の最寄り駅は、JR東西線の浦安駅。そこからディズニーランドまではシャトルバスでさらに15分。足の便は決して良くなかったです。それでもオープン当日には、日本全国からディズニーファンが詰めかけたそうです。ディズニーファンって、当時から熱かったんですね。
でも、東京ディズニーランドに対する見方は、好意的なものばかりではありませんでした。日本人にアメリカ風の娯楽施設は合わない、どうせ数年でダメなるといった批判的な意見も多かったのです。実際、オリエンタルランドの上層部では、10年たっても東京ディズニーランドの運営が軌道に乗らなければ、パークを閉園して住宅地に転用するという意見があったとか。
2021年現在、東京ディズニーランドは、東京ディズニーシーとの2パーク制になり、ディズニーホテルやオフィシャルホテル、イクスピアリと言った商業施設まで抱えた1大リゾート地へと大成長を遂げました。
日本に東京ディズニーランドを誘致する際、オリエンタルランドがウォルト・ディズニーカンパニーと交わした契約は1983年から45年間「ディズニーランド」を名乗ってもよいというものでした。
もし、パークの経営状況が思わしくない状況が続いたとしたら、契約終了の2028年を待たずに「東京ディズニーランド」は消滅していたかも知れません。今年は2021年ですから、2028年はそう遠い未来ではなかったのですね。
ディズニーランドのシンボル、ミッキーのお顔の花壇。季節によって花の色が変わります。ランドに入園したら、まずここで記念撮影をするゲストも多いのでは?
「ディズニーランド」から「ディズニーリゾート宣言」へ
東京ディズニーランドがオープンしたのは1983年ですが、オリエンタルランドは、その後の施設拡張を見据えてランドの周辺に広大な敷地をあらかじめ確保していました。
そしてランドの開園5周年を迎えた1988年、オリエンタルランドは「第2パーク」の構想を発表。2001年に「東京ディズニーシー」を開園することを公表しました。同年12月には、京葉線の延伸により、パークの目の前に京葉線舞浜駅が開業し、パークへのアクセスが格段に向上しています。
シー開園前の2000年には「東京ディズニーリゾート宣言」を発表。これはディズニーランドを中心に、ディズニーホテル第一号のアンバサダーホテル、パーク周辺のオフィシャルホテルを含めて、舞浜地区一帯を総合リゾート施設として整備していくという計画です。
2001年7月27日にランド、シーの外周を走るディズニーリゾートラインが開業。2001年9月4日に東京ディズニーシー、ホテルミラコスタがグランドオープンしました。
海をテーマにしたディズニーパークは世界にも例がなく、東京ディズニーシーが初となります。オリエンタルランドは2001年のシー開園を機に、ウォルト・ディズニーカンパニーとの契約内容を、2001年からさらに20年延長することにしました。この時の契約は5年ごとに更新しするもので、期限は2046年でした。
ディズニーシー「新エリア」拡張!
ディズニーシーが開園した当初は、1日の入園者が1万人前後というガラガラ状態が数年続いていました。それでも、シー5周年を迎えた2006年には、230億円を投じた「タワー・オブ・テラー」が開業して大人気になり、徐々にシーの知名度が上がってきました。
そして2009年9月、シー初のハロウィンイベントが大ヒットし、シーはようやくランドと肩を並べるパークへと成長を遂げたのです。その後は、ランド、シー2パークの相乗効果で入園者数がうなぎ上りに増加。ランド30周年を迎えた2013年には年間入園者数3000万人超えを記録しました。
その頃から、パークの飽和状態を緩和するため、オリエンタルランドはランド、シーの拡張計画に取り掛かります。そして紆余曲折を経て、2020年4月にランドの新エリア完成、2023年にシーの新エリア「ファンタジースプリングス」の開業決定となりました。
パークのエリア拡張については、こちらの記事で詳しく解説しています。
https://sskumatei.com/3952.html
オリエンタルランドは、シーの新エリア開業に合わせて、ウォルト・ディズニーカンパニーとの再度の契約更改を行っています。その内容は、2023年シーの新エリアオープンからさらに30年間契約を延長するというもの。その契約期限は2076年9月3日です。今年は2021年ですから、あと55年、東京ディズニーリゾートは存続するということですね。
契約期間内に開催されるランドの周年イベントはこうなります。
ランド周年 | 西暦 |
40周年 45周年 |
2023年 2028年 |
50周年 55周年 |
2033年 2038年 |
60周年 65周年 |
2043年 2048年 |
70周年 75周年 |
2053年 2058年 |
80周年 85周年 90周年 |
2063年 2068年 2073年 |
続いてシーの周年イベントの開催予定年。
周年イベント | 西暦 |
20周年 25周年 |
2021年 2026年 |
30周年 35周年 |
2031年 2036年 |
40周年 45周年 |
2041年 2046年 |
50周年 55周年 |
2051年 2056年 |
60周年 65周年 |
2061年 2066年 |
70周年 75周年 |
2071年 2076年 |
ランドは90周年、シーは75周年まで開催できるんですね。なんだか気が遠くなりそう。ランド70周年の頃には、シンボルのシンデレラ城の全面建て替えとかありそうな感じですね。シーのタワー・オブ・テラーも50周年の頃にはエレベーターの耐用年数が来て建て替えがあるかも知れません。
東京ディズニーリゾートはこの先何十年も存続することがすでに約束されているのです。そう考えたら、コロナ禍でパークが1,2年フル営業できないことも、些細な出来事に思えてきますね。
ディズニーシー75周年の年には、ミッキー、ミニーは何歳になっているんだろう? あはっ((;^_^A)